~人生に絶望した発達障害者が、最期の場所を求め海外へ旅に出たお話~
前回の続き
チャリパンクして工具も破損したけど、カフェで会ったおっちゃんと協力したらなんとかなった。
チャリ修理を終え話を聞いていると、
この人たちはイラン人でタブリーズからきたこと、
アゼルバイジャン・バクーの近くにあるモスクへ自転車で巡礼旅にきていたことがわかった。
いまはイランに戻っている最中らしい。
しばらく走る道は一緒なので、一緒に行こうということになった。
誰かと一緒に走るのはこの旅初だな。
あんまり人と深く関わり合いになりたくないんだが・・・・
まー折角だから一緒にいくか。
聞けば、この二人は親子らしい。
自転車は趣味みたいだ。
いいね。
途中で何回か休憩して、アイス奢ってくれた。
ありがと。
きこきこ・・
風は微風(追い風)でイイ感じだ。
3人で快走する。
・・・・・・・・
・・・・
今日はハジュガブルという町まで行って泊まりたいな~
と考えていたんだが、ハジュガブルに着く前に日が暮れてきた。
もう100km近く走ってるのか。
日が暮れてくるのも当然か。
おっちゃんたちは止まって二人でなにやら話しだした。
ここでお別れかな。先を急がねば。
俺は日が暮れてもお構いなしに行こうとした。
が、、、おっちゃんたちに止められた。
曰く、夜間は知るのは危険すぎるからやめろとのこと。
追突されたり、車が突っ込んできたりして毎年多くのチャリダーが死んでいるらしい。
道路わきに時々ある石碑はそうやって死んだ人の墓標?みたいだ。
以前から道路脇で見かけていた意味不明な石の謎が解けた。
・・・
旅先で死ねるなら別にいいんだけど、それ言うと面倒なことになりそうなので、
じゃどうするの、宿ないよ?と聞いてみた。
おっちゃん「民家で交渉してくる」
!????
マジで??
・・・・・
おっちゃんは近くの民家に入っていった。
飲食店のオーナーは快く倉庫を寝床に貸してくれた。
タダらしい
マジか。
同じイスラム教で巡礼の途中なので快く倉庫を貸してくれたみたいだ。
すごいな~やっぱ話せる人がいると強いな。
その日の夜
飲食店のオーナーとチャリダーのおっちゃんたちと一緒に酒盛りして寝た。
メシはうまかった。ごちそうしてくれた。
ありがと。
当然風呂などないが、特に問題なく安眠できた。
本日の走行距離:約100km
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